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おいしい生活(おいしいせいかつ)とは、1982年にコピーライターの糸井重里が考案、翌年まで用いられた西武百貨店のキャッチコピー〔特集 サラリーマンの生き方 -企業と個人の関係を探る- その1 「おいしい生活」と企業福祉 中央学院大学商学部講師 永野俊雄 『暮らしと保険』 No.351〕。糸井が手掛けた同百貨店のキャッチコピーとしては、「じぶん、新発見」(1980年)、「不思議、大好き」(1981年)に次いで3作目に当たる。「不思議、大好き」や本キャッチコピーを契機として、1980年代には一連の「コピーライターブーム」が盛り上がり、糸井の影響を受け広告業界を志した者は多い〔新保信長、児玉拓也編『別冊宝島345号 雑誌狂時代!』宝島社、1997年11月、p.114〕〔特別インタビュー 階段を一歩上るとき エグゼクティブ転職〕。戦後日本の名宣伝文句を集めた『日本のコピー ベスト500』で第1位に選出(第2位は1984年に同じく糸井が手掛けた新潮文庫の「想像力と数百円」)〔1位は「おいしい生活。」 戦後の名コピー集刊行 2011年10月7日 朝日新聞デジタル〕〔安藤隆他編『日本のコピー ベスト500』株式会社宣伝会議、2011年9月、p.10 - 11〕。 == 概要 == 衣食住に留まらず、余暇生活を含めたあらゆる場面で、物質的、精神的、文化的に豊かな生活を提案する、日本の広告史に画期をもたらした名コピーであった〔。また1980年代から1990年代初頭まで「生活総合産業」を標榜していた西武百貨店にとって、都会的な洗練された消費の発信地とするイメージ戦略を展開する上で重要な役割を果たすこととなる〔セゾン隆盛と崩壊を招いた“詩人経営者”故・堤清二の功罪と、戦後最大の金融事件 2013年12月3日 ビジネスジャーナル〕。 本キャッチコピーのポスター作成に携わったアートディレクターの浅葉克己によると、前作「不思議、大好き」の撮影でロケーションに向かう飛行機の中で、糸井が味気無い(つまり「おいしくない」)機内食にお茶漬けが出ないことに不満を漏らしたのが契機ととされる〔「負けるもんか」で生きてゆく、70年周期の大転換期。 考えようによって、おもしろい時代かもしれない。 FGひろば155号 クリエイターズ・アイ〕。 糸井にとっては何気無い発想から生まれたようで、「おいしいことに理由はない。好きなものは好きだ」という当時の発言からもその意図がうかがえる〔大塚英志『「おたく」の精神史 1980年代論』講談社現代新書、2004年2月、p.66 - 70〕。 イメージキャラクターの起用に際して映画監督のウディ・アレンに白羽の矢を立て、居住地のニューヨークまで出向いたものの、多忙を極めていたため本人から出演拒否を余儀無くされる〔。そのため、当時セゾングループの総帥に君臨していた堤清二が、映画館での作品公開を条件に本人と直接交渉したところ見事快諾〔。 当初は広告・コマーシャル撮影を浅草や江ノ島海岸で行う予定であったが、飛行機嫌いのアレンを慮って全編ニューヨークで撮影を実施することとなる〔。撮影は春、秋各2回分、合計4パターン(上半身裸のアレンが灸師から特大の灸を据えられる「お灸編」、公務員に扮したアレンによる「おいしい生活相談員編」、「自動販売機編」、着流し姿のアレンが浅羽の手本を頼りに長半紙に「おいしい生活」と一筆認める「お習字編」)行われ、いずれも巷間に鮮烈な印象を与えるに至った〔。 なお、コマーシャルソングには本キャッチコピーと同名の曲(作詞は糸井と矢野顕子、作曲は矢野)が起用され、矢野が1982年6月25日に発表した6枚目のスタジオアルバム『愛がなくちゃね。』にも収録。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「おいしい生活 (キャッチコピー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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